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KUKI
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世界史潜望鏡


世界史小型機探査
ヨーロッパの略奪再読
2018年6月28日
イタリアの難民対応とポピュリズム
2018年6月28日
メルケル首相 EUリーダーの苦悩
2018年6月28日
音楽
音楽
・ベートーベン 交響曲第8番 第2楽章
・マントン
・ベートーベン ピアノソナタ31番
・シャコンヌ
・BWV998
津軽
弘前公園西濠の夜桜(弘前公園総合情報サイトより)
大学紛争の新聞記事
2018年12月6日

ひきだしから、一枚の古い新聞記事が出て来た。
昭和44年(1969年)9月のものである。弘前大学からの求めにより、機動隊がキャンパスに入り、学生による3週間に亘る大学本部封鎖を解除したというもの。
この年は、1月に東大安田講堂事件があり入試が中止となって受験生は大学選びで混乱した。自分もその一人だ。その後、全国的に大学紛争の嵐が吹き荒れた。争点のひとつは大学の自治とは何かである。私の進学した大学も開店休業状態。将来が見通せずひどく困惑したことを覚えている。
大学紛争はこの年の暮れ近くから急速にトーンダウンした。ただ学生運動そのものは大学キャンパスから学外に移り、いくつもの社会事件が起きた。今も一部で激しい活動が続いている。
それから40年以上が経った2011年1月、東京の通勤電車内で、若手サラリーマンが読んでいた少年マガジンの裏表紙に弘前大学のPRが眼に入った。この広告を見た男女はどんな思いで弘前での大学生活を送る事になったのだろうか?時代の移ろいに感慨深いものがあった。

久々の弘前
2018年11月6日
母方の最後の叔父が亡くなり葬儀参列のため久々に弘前を訪れる。葬儀の合間を縫って銅屋町にある最勝院を訪問。ここは自分が育った家の近所にあり、父母は幼いこどもを連れて境内でお重の弁当を食べた。境内にある五重の塔内の暗く急な梯子をつたって何度か登った。その一番上の扉を開けたとき、その向こうに見えた風景は何だったろう。記憶を辿ると高い木々の間から緑の平野が遠望されたことを覚えている。
境内で記憶に残るのは、三十三観音だ。小学校に上がってからは毎日その境内を通って通学した。未舗装の裸土に並ぶ鼻のかけた観音像たちを両脇に見ながら通ったことを思い出す。
当時と違い、五重塔も境内も観音も綺麗に修復整備されて見違えるようになった。訪問時に、近所の幼稚園児に遭遇。遊んでいる姿に幼い自分の懐かしい記憶が蘇った。





















