top of page



■遺物の内容
九鬼の倉や山の家、東京の家に残されていた遺物は、大きくふたつに分けられる。
ひとつは、火縄銃、槍や刀剣、鎧、弓、海戦用のさすまたなどの武器・武具類。
もうひとつは、古文書類だ。古文書類は主に、九鬼家歴代それぞれを記したもの のほか、
九鬼での祖父の実業家時代の日常の伝票や記録類だ。

■保存先
さてそれらをどう整理し保存するか。どこでどのように? 自分の知識と能力には限りがある。最大の課題は、自分が古文書をうまく読み下せないことだ。また、遺物は個人の希望者に渡してゆくと分散してしまい、史料価値がなくなってしまう。どこか、一か所に寄贈できないかと考えていた。それで、10年ほど前から何人かの歴史学者に相談し意見を聞いて来た。磯田道史さんもその一人である。

■三重県総合博物館(MieMu)
誰もが三重県津市にある 三重県総合博物館(MieMu)に相談して見てはどうだろうかという
ことだった。それで、まず三重県教育委員会に連絡をした。
誠に幸いなことに社会教育・文化財保護課の伊藤 裕偉さんが丁寧に対応して下さり、九鬼・東京
を訪れて現物を見た後に、三重県総合博物館につないで下さった。
その後に博物館は実地調査をし、続いて保存作業をして下さることになった。驚いたのは九鬼には
学芸員5名もの方々が来られた事だ。しかも、その人々は、山の家の現地で夥しい数の古文書などを
読みながらてきぱき仕訳けてゆく。しかも日本通運の屈強なメンバー達がいくつもの段ボールを背負
って山道をおり、4トンの大型トラックに次々積み込んでゆく。さすがに専門家による機動部隊は違
うなとつくづく感じた。
また、東京では残されていた鎧・刀剣などは、座敷で丁寧に分解して欠損がないかなどを調べた。
そのために津市からはるばる東京まで大きなバンを走らせて来たのだ。その意欲に感服した。












■保存リストの完成
運ばれた史料は博物館で燻蒸された後、温度湿度が管理されている倉庫に保存された。そして、本年(2019年)8月に内容の一覧が完成した。
これらがやがて、関心を持つ学芸員や研究者による分析が行われて、いつの日か九鬼水軍に関する 展示につながり、九鬼水軍発祥と九鬼が地域と日本に果たした役割が世にひろく伝わってゆくことを期待している。もちろん、微力ではあるが、自分も努力を続ける予定である。
bottom of page